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2009年5月

momo&福島県南会津町(伊南村)

5月28日突然の知らせがあり、今朝5時30分出発で伊南村(南会津南郷町)に出掛けました。(南会津町南郷町クリックしてね。

南会津町の久川城

久川城は親戚の家から徒歩7分の所にあり、小雨でしたが入り口の所まで行ってみました。
今までは

0953_001_30_2 0953_004_30_2 久川城(ひさかわじょう)は福島県南会津郡南会津町(旧伊南村)にあった戦国時代から江戸時代初期の城。

久川城のある会津郡伊南郷伊南川流域一帯)は文治5年(1189年)の奥州合戦の戦功によって下野国住人の河原田盛光に与えられ、以来河原田氏が治めていた。

天文12年(1543年)頃に蘆名盛に攻められ、このころから河原田氏蘆名氏に臣従したものと思われる。

19年(1589年)、摺上原の戦い蘆名氏が滅亡し、伊達政宗が黒川城へ入ったが、当時の河原田氏当主・河原田盛次政宗への臣従を拒否した。

政宗は家臣の柴田但馬や降伏した鴫山城長沼盛秀を伊南郷に攻め入らせる。盛次は戦闘に備えて新たに久川城を築き、そこに立て籠もって伊達勢を迎え討った。

伊達勢は城を攻撃したが、結局攻め落とすことはできずに撤退した。しかし盛次は翌年の小田原攻めに参陣しなかったためにその後の奥州仕置によって領地は没収されてしまった。その後、会津は蒲生氏上杉氏、そして再び蒲生氏が入部し、この再蒲生時代に久川城は現在残されている縄張りの城に改築された。その後、慶長16年(1611年)に廃城となった。

奥州仕置で領地没収となった河原田氏一族はその後蘆名義広について常陸国へ行った者、帰農した者などそれぞれの道を歩んだ。蘆名義広に従って常陸へ行った河原田氏は江戸時代義広が領した出羽国角館(現・秋田県仙北市)に移り、そこに居住した。角館に残る武家屋敷・河原田家はこの子孫の屋敷である。

奥州仕置で帰農した、河原田氏の子孫のお墓が、親戚のお墓と隣接してます。

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momo&華道(09.5.28)

庭の消毒をして下さってた方が、お帰りになってから、car dash で、お花のお稽古に出かけました。

お稽古場は、すでにお帰りになられた方もいらっしやって、お花の写真は少なめになってしまいました。

09427 09528_002_20         09528_003_24           09527          095275         09528_004_30_2 花 材 : カラー ・ ロベ ・ ばいかうつぎ ・ アガパンサス ・ ガーベラ

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momo&テンプレート(ブログバックの模様)の変更

J0189251

早いもので、衣替えの時期になり、何かと忙しい日々を過ごしていますが、「デスクトップ」&「ブログ」(テンプレート)の壁紙を交換しました。

「グログ」のテンプレート よろしくねsign03

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momo&キリンビール工場(仙台)

09527_001_30 認識不足で恥ずかしいのですが、キリンビール工場が仙台にあるとは知りませんでした。shock

昭和20~30年代はお酒よりもビール(アルコールが低い)が高値でしたので、贅沢商品でした。
景気が良くなり共稼ぎの時代になりますと、ビールの需要が多くなり、キリンビールの王国になります。

キリンビールの需要がダントツに多くなり、ビール業界のトップに長い間君臨するようになります。

09527_003_30 キリンビール物造りへのこだわり

Photo_9 1)麦芽
 創立当時カラキリンビールは麦芽の品質にこだわってきました。
明治20年代半ばの麦芽が価格はドイツ・アメリカからの輸入品を使用していました。
キリンビールはオーストラリアに麦芽の工場を持っています。日本メーカーで唯一の海外工場は、大麦産地のすぐ近くにあり、麦芽を作っています。

Photo_6 2)酵母
 現在ストックされている酵母のうち、ビールの酵母は561種類。
これらはキリンビール100年におよぶビールつくりの研究の歴史で選抜され勝残ってきました。選抜には非常に多くの試験管醸造データーが使われいます。まさにビールのためのエリート酵母です。

Photo_5 3)ホップ
高品質のファインアロマ・アロマホップの産地であるテェコのザーツを中心に、キリンビールの原料調達の担当者と技術者は毎年現地へおもむきます。
特に品質の高いホップを選び出しています。

Photo_7 4)水
ビールの原料になる水を選ぶために、キリンビールでは、100以上の基準をもうけています。これらをクリアした水だけが、おいしいビールの原料になるのです。

Photo_8 5)ひとと、技術
本場(ドイツ)へのこだわりは、人に留まらず、麦芽・ホップ等の原料、機械設備、、びんに至までドイツから輸入。王冠やアメイカ式瓶詰機導入し醸造するドイツ風ビールの本格的な味は高く評価されました。

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momo&カステラ

今日 友達が「実家から帰ってきた」のよ と 頂いたのは、文明堂さんのカステラでしが、たまたまデパートにいきましたら、ウインドーに飾られていたのと同じ商品でした。 「宮内庁御用達」でしたsign0309524_25 09526_002_30          09526_003_30          
「特選五三加壽天羅」です。
カステラには、五味を含むと珍重され、江戸時代より大極上品として扱われています。

先人からの言伝えや古事記類苑等の古い文献によって五三(ごさん)カステラの復元を、当時工場長 森幸四郎に要請し数年の試作の繰り返しと苦心の末、昭和45年、遂に特選加壽天羅を完成したそうです。

人間国宝 : 森幸四郎 長崎県出身、十七歳で入社以来、カステラ職人として従事しました平成6年には、農林水産大臣賞 食の人間国宝・フードマイスター賞授与されました。

厳選素材

★卵・・・指定農業から産卵当日又は翌日までに工場へ納入
卵黄も通常の3割増しで使用
★砂糖・・・和三盆糖を使用
★蜂蜜・・・イギリス産最高級「コッツウォルド・ハニー」を使用
この蜂蜜は量が取れないのでオーダー済みの物量を
確保しているほどの貴重品
★小麦粉・・・無漂白小麦粉の超薄力粉を使用

いただいた時は、「あら~」高級品ね。といただきましたが、シオリを読んだり、パソコンで検索していくうちに、「芸術品」と思うようになりました。

ティータイムに、この「芸術品」は何と合う(私好み)のだろうと思い、「紅茶」・「コーヒ」ー・「緑茶」と呑み比べてみました。

予想は1番はコーヒかな~。2番は緑茶。3番は紅茶の順でしたよ。 「でも」予想は実験とは(大げさかな?)違いましたsign03
★紅茶・・・1口カステラを食べ口の中でかみますと、カステラの「ふわ」感とほどよいまろやかな甘さ(最高~~)。紅茶を飲むとカステラと紅茶のハーモニーが口の中で広がりを増します。 紅茶とカステラが別々の味が、飲み込むまで楽しませてくれます。happy01
★コーヒー・・・レギュラーコーヒーを入れてカステラを食べてみましたが、カステラがコーヒーの味と香りに消されてしまい、カステラの味が口の中に残る事はありませんでした。
★緑茶・・・これは合うだろうな~と思いましたが、コーヒーと同じなのには「びっくり」しました。

 

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momo&古関裕而誕生100年

何回も訪ねている古関裕而記念館

今年は誕生100年記念

09524_003_30 09524_001_30 09524_002_30 古関裕而(本名、古関勇治)は、明治42(1909)年福島市大町に生まれ、昭和5(1930)年9月に日本コロムビア(株)に作曲家として入社、以来、作曲活動を継続し、戦前においては「露営の歌」(昭和12:1937)、「暁に祈る」(昭和15:1940)等の歴史的作品を残したほか、戦後の荒廃した社会の中にあっては「とんがり帽子」「長崎の鐘」等未来へ希望を抱かせる明るい歌謡作品を発表し多く人に愛唱されています。

さらに、菊田一夫氏とのコンビで昭和22(1947)年以降は放送作品に力をそそぎ、NHKラジオ・ドラマ「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」「君の名は」等の主題歌を発表し一世を風靡したことはあまりにも有名です。こうした数々の放送関係における業績により同28(1953)年NHK放送文化賞を受賞しました。また、昭和39(1964)年アジアで初めて開催されました東京オリンピックの選手入場行進曲「オリンピック・マーチ」 を作曲しました。
作曲作品総数は、5,000曲にもおよび、スポーツ・ラジオドラマ・歌謡曲・演劇・校歌・社歌等、多岐にわたっています。こうした一連の功績によって昭和44(1969)年には紫綬褒章を受章しています。
また、昭和54(1979)年4月には福島市名誉市民第一号となり、その功績と栄誉をたたえられています。

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momo&披露宴

知人のお嬢さんの結婚披露宴に、お呼ばれしましたが、顔写真をブログに出せないので、フランス料理(和洋折衷でした)の写真を撮って来ました。

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左上の写真より

1)お造り祝い盛りあわせ

2)アボカドと赤ピーマンのパルフェ

3)伊勢海老のテルミドール   4)ふかひれの姿煮  5)かに爪 揚げ物

6)特選牛フィレ肉のステーキ和風味  7)海鮮ちらし寿司  8)木苺のシャルロット 青りんごのシャーベット添え

かわいいお客さんもいらしゃいましたよ。

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子供さんの表情って、「かわいい」ですね。

勿論「ママ」だっこです。

○|_| ̄ =3 ズコーク カワイイ ネ。

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momo&サッポロビール園(札幌)

昨日はアサヒビール福島工場でしたが、実は「サッポロビール」ファンで~す。

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今、日本中「アサヒビール」が謳歌していますが、私は、サッポロの穏やかな味&ホップの香り、後口に「ちよっと」苦味が残る「サッポロ」が好きです。happy01
サッポロビール園は、赤レンガで造られ当時のビール工場の後です。できたて生ビールと北の味覚に舌つづみ。ビール好きなら一度は訪れたい、ビールの殿堂です。明治時代をしのぶ赤レンガの建物で、ビヤカントリー北海道の楽しさを満喫できます。

1)ビール職人に耐えての修行

 開拓使で「麦酒醸造人」という職を与えられる17歳の青年、中川清兵衛が故郷の新潟をあとにし、横浜から国禁を犯しイギリスに渡ったのは1865年(慶応元)である。その後、ドイツへ移りそこで留学生総代の青木周蔵(後の外務大臣)と出会う。青木の薦めで、ベルリンビール醸造会社での修業がはじまった。当時のビール職人の労働は厳しく、土曜、日曜もなかったという。

2)ビール醸造法は折り紙つき

1875年(明治8)5月、2年2ヶ月に及ぶ中川の修業は終わった。会社から贈られた修業証書に「旺盛な興味と熱心さで、ビール醸造及び製麦の研究に励み全部門にわたり知識を習得。有能で勤勉な他国の一青年を教育し得たことは大きな喜びであり、心から前途に幸多かれと祈る」と記されている。中川は8月、10年ぶりに帰国した。

3)サッポロビールの発祥

開拓使は1876年(明治9)6月、青木から推薦された中川を迎え醸造所の建設に着手。9月「開拓使麦酒醸造所」は完成する。サッポロビールの歴史はここに始まる。総工費は8,348円程、現在のお金に換算すれば約1億円。開業式では、積み上げたビール樽に「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる」と白字で大きく書かれた記念写真が残っている。

4)ドイツ醸造法の生ビールが評判になる

S04_img011_2 札幌初のビールは、冷製「札幌ビール」と名づけられ、1876年(明治9)9月に発売された。「冷製」とはドイツ醸造法による、低温熟成させたビールの意味のようだ。開拓使の依頼でホップやビールの成分分析を行っていた札幌農学校の教師ペンハローは札幌ビールを苦みがほどよく、なにより芳醇な香りが心地よい、と絶賛。ラベルに開拓使のシンボル「北極星」が描かれたビールは評判となった。

5)サッポロビールの取り組みは世界でも少数派

Boxblock03aimg011 開拓使に始まるサッポロビールの歴史は、おいしいビールを造るためのこだわりの歴史でもある。その一つは徹底した原料へのこだわり。自ら大麦、ホップの品種改良を行いビールに適した品種を開発してきた。原料にこだわるサッポロのこうした取組みは、世界のビール会社でもほとんど例をみない。

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momo&アサヒビール園福島工場

親戚の方がお出でになり、お話の中で、アサヒビール園に行って来られて飲み放題で「楽しかった」と言われてましたが、若い方はジョッキで5杯はいけるそうです。

           Photo_4 これからビールの季節を迎えて、団体のバスで混み合うそうです。

Photo_6 ここで飲むビールは飲食店で飲む「生ビール」とは味が違うと言っておられました。
本当に違うのかな~~sign02
今度行って見たいと思いますが、何時になる事やら・・・。

Photo_7 この写真はアサヒビール福島工場の全景です。

アサヒビール福島工場は昭和47(1972)年6月に操業した。当初はサイダーの製造を行っており、ビール工場として竣工したのは7年後の昭和54(1979)年のことである。
 アサヒビールは明治22(1889)年、大阪麦酒の設立にその歴史を開く。その後大阪麦酒、日本麦酒、札幌麦酒が大日本麦酒を設立、さらに大日本麦酒が日本麦酒と朝日麦酒とに分かれたのが昭和24(1949)年のことである。スタートが大阪麦酒であることから、大日本麦酒時代、「アサヒ」の商標は東北ではなかなか馴染みの薄いものであったという。
昭和30年代になって、漸く「アサヒ」の商標も定着し始め、特約店の中から工場の誘致をという声が挙がり、福島工場誕生へとつながった。

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momo&かきつばた一種いけ(5月21日)

お天気もいいので、「ルンルン」でお花のお稽古に行きましたら、かきつばたの一種いけでした。

私の大好きなかきつばたの一種いけですが、これがなかなか大変で一枚一枚の葉を表にだし、葉組みをしますが、作業をしてるうちに表か裏かわからなくなり困る事もしばしばです。

先生に手を取り指導されたのが、下の作品です。

09521_002_24 一年に一度しか、いけられない「かきつばた」ですが、この花をいけるたび

に思うことは「お花」お習いして「よかった」とのことです。

家の床の間にいけて、いっぷくのお抹茶をいただくのは、私の至福の時です

...。oо○** さいこう~~*○оo。...。oо○**○оo。

友達の作品

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momo&カーペットクリーニング

カーペトクリーニング屋さんに出すのですが、「しみ」がおちなく困っていましたら、娘が「自分で洗ったほうがおちるよ」と言われてから、自分でクリーニングするようになってから3回目になります。

今年もカーペットクリーニングしましたsign03

09522_004_30 Photo 去年は1日で2枚洗いましたが、今年は2日間かけて洗いました。

「とっても」きれいになり「うれしい」のですが、2枚続けては

体にも きつく 感じましたので・・・ね。

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momo&お野菜

ご夫婦仲良く、趣味で畑にいろいろな作物を作っていらしゃる親友から、いつもお野菜をいただきます。

09519_001_30 09519_002_30  今日は新たまねぎ・大根・スナックエンドウ・さやをいただきました。;:゙;`(゚∀゚)`アリガトウ~。

たまねぎ&豚肉で串カツをつくりました。

スナックエンドウは茹でてマヨネーズ&醤油でいただきますが、何もつけないのがだ~い好きで~す。翌日になっても「とっても甘い」のですよ。happy01lovely

さやは茹でて「めんつゆ」につけておき、そのまま食べてもよし、煮物のつけ合わせ・サラダにいれてもいいですよね。

大根はダイコンサラダ・三五八漬け・お味噌汁(冬はおでんがいいですね)天婦羅&大根おろしはかかせませんね。

♪:;;;:♪:;;;::happy01おやさいありがとうね:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

      

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momo&反省会

17日池坊巡回講座に参加しまして、今日はその反省会がありました。

参加したメンバーでしたが、花よりケーキでしょうか?

09518_003_30 ケーキよりも、話に花が咲き「ま~ま~」おしゃべり「する事する事」数時間「あっと」言う間に過ぎてしまいました。

ケーキは日本では明治以後欧化政策で一部の特権階級にはケーキなどの洋菓子が知られていましたが、それはきわめて特殊な嗜好品でした。特別な時だけに食べていたのです。第2次大戦後に日本では嗜好品も欧米化されました。
「今」は特別な時だけでなく、好きなときに食べられる幸せな時代ですね。

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momo&池坊巡回講座(平成21年5月17日)

毎年1回、「いけばな池坊巡回講座」が開催され、一日いけばなを楽しんできました。

テーマは「伝えたい、忘れかけた心」

09517_001_25 講師は札幌在住の 佐々木康人先生です。

先生は「池坊中央研修学院」研究委員で、全米いけばな特派講師

ベトナム・ミャンマー・カナダ・中国特派講師としてご活躍されていらしゃいます。

自由化・生花・立花のデモストレーションを通し伝書に親しみながら、勉強させて頂きました。

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momo&仙台すずめ踊り

●仙台すずめ踊りとは

慶長八年(2603年)仙台城移徒式(新築移転の儀式)の後の宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)出身の石工さんが、藩祖伊達正宗公の御前で即興で披露した踊りが始まりと言われています。

Photo 踊る姿が餌をついばむ雀に似ており、伊達政宗の家紋も「竹に雀」であることから『すずめ踊り』と呼ばれました。

仙台発祥の郷土芸能であるすずめ踊りは石工の子孫によって伝承されて来ましたが、近年では、市民の間にも広がり多くのグループ(祭連=まづら)が創られるようになりました。

09516_013_50 09516_007_50 09516_041_40 5月の「仙台・青葉まつり」など様々なまつりやイベントで披露されるすずめ踊りは各祭連が工夫を凝らした振り付けやお囃子を競い合っています。09516_001_50_209516_058_50Photo_2
大人・学生・子供(三代揃っての参加のファミリーもいらっしゃいました)

Photo_3 飛び入りの方の扇子レンタル・メイクがテントの中でスタンバイされてまして、メイク中のお子さんもいらしゃいました。

●仙台すずめ踊りのお囃子

09516_065_50 明治大正の頃まで伝承されて来た固有の画曲は、篠笛・大小の太皷で演奏されます。最近は、鉦を加えたお囃子を持つ祭連が一般的で、三味線を加えたり一部を編曲している場合もありますが、メロディーは全祭連共通の一曲です。

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momo&シュガークラフト(母の日)

シュガークラフト大好きデ~ス。
カラー・デザイン・作る工程に夢があり、ロマンがあります。
孫が生まれた時、内祝いの中に(ベビーの)シュガークラフトを入れましたよ。

0955_003_30 シュガークラフトのカーネーション「母の日」(5/10)にいただきましたsign03sign03
ゴールデンウイークに孫が選んでくれました。sign04happy01sign04
カーネーションのカラーが「いろいろ」な組み合わせがありましたが、孫が選んでくれたのは、「ピンク・イエロー・ライトブルー」でカラフルでしたよ。

Photo 単なるケーキの飾り付けにはとどまらない、シュガーアートとして認められてきています。そういった砂糖細工を総じて「シュガークラフト」と呼んでいるのですが、単純にアートとして観賞用にケーキを作ってしまうのが食べられない、食べないケーキということになります。もちろん中身はケーキではありません。通常、ケーキの形をした発砲スチロールを使用します。こういったダミーケーキだけに限らず、沢山のワイヤー(針金)を使って作る本物と見間違うようなシュガーフラワーも、もちろん食べられない、食べない部類に入ります。このシュガーフラワーはシュガークラフトの中では大きな割合を占めています。シュガーペーストは一度固まってしまえば、ある程度(数年~十数年)の保存がきくので、観賞用としてのシュガーケーキは、飾って楽しむことが出来ます。その可能性をますます拡大しているシュガークラフト。それはまさに想像と創造の世界といえるでしょう。

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momo&華道(5月14日)

5月になって、2回目のお稽古でした。

花 材 : どうだんつつじ・ギガンジューム・ソリダコ・カーネーション・リューカデンドロ

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momo&福沙屋

福沙屋さんの「カステラ」は、カステラと台紙の間にざらめが「美味しいのよ」と友達からお土産をいただきました。

お菓子おんちの私は、「へ~」と思っただけでした。
福砂屋さんの名前すら知りなせんでした(はずかしい~)。shock
ご馳走になってみると確かに、「ざらめ」の「こりこり」がカステラの甘さと相まって、一層美味しさを感じました。

 寛永元年(1624年)の創業以来、長崎カステラの製法を永々、家伝継承。
 寛永の初め頃、日本人とポルトガル人は長崎の街中で親しく交流しておりました。初代砂屋は、ポルトガル人からカステラづくりを伝えられる契機があったものと思われます。
 江戸時代の商標や引札が集められた『諸国板行帖』では、店舗は五代頃まで引地町にありました。
 今の船大工町に移転したのは、六代市良次事大助のときで、丸山や唐人屋敷も近く、賑わいをみせておりました。
 十二代清太郎は、卵に工夫を凝らした『白菊』『黄菊』『五三焼(ごさんやき)』の特製カステラを作り上げました。
 十三代為太郎の代には、宮中御買上げの栄に浴し、十四代史郎の際には戦中戦後の混乱期にあたりましたが、昭和24年、天皇陛下が長崎ご臨幸になり、カステラ献上を機に生産を再開いたしました。
 昭和27年には、東京支店を開設。昭和52年、本社多良見工場を完成。昭和58年には福岡支店を開設。平成4年には大村工場を完成。長崎カステラの本家として今日に至っております。

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momo&恵日寺

09425_007_30 慧日寺は平安時代初め、大同2年(807年)に法相宗の僧・徳一によって開かれた。

Photo_3 徳一はもともとは南都(奈良)の学僧であったが布教活動のため会津へ下り、勝常寺円蔵寺(柳津虚空蔵尊)を建立し、会津地方に仏教文化を広めていた。また、徳一は会津の地から当時の新興仏教勢力であった天台宗最澄三一権実論争」、真言宗空海と「真言宗未決文」など大論争を繰り広げていた。

徳一は承和9年(842年)に死去し、今与(金耀)が跡を継いだが、この頃の慧日寺は寺僧300、僧兵数千、子院3800を数えるほどの隆盛を誇っていたといわれる。

平安時代後期になると慧日寺は越後から会津にかけて勢力を張っていた城氏との関係が深くなり、承安2年(1172年)には城資永より越後国東蒲原郡小川庄75ヶ村を寄進されている。その影響で、源平合戦がはじまると、平家方に付いた城助職木曾義仲信濃国横田河原で戦った際には、慧日寺衆徒頭の乗丹坊が会津四郡の兵を引き連れて助職の援軍として駆けつけている。しかし、この横田河原の戦い助職は敗れ、乗丹坊も戦死し、慧日寺は一時的に衰退するのである。

中世にはいると領主の庇護などもあり伽藍の復興が進み、『絹本著色恵日寺絵図』から室町時代には複数の伽藍とともに門前町が形成されていたことがわかる。しかし、天正17年(1589年)の摺上原の戦いに勝利した伊達政宗が会津へ侵入した際にその戦火に巻き込まれ、金堂を残して全て焼失してしまった。

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勝常寺

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momo&アンドリュー・ワイエス

久しぶりに会った友達に、「アンドリュー・ワイエス」絵画展、美術館に「展示10日までよ」

09510_001_30 09510_002_30 と教えて頂いてましたが、「なかなか」行けなくて昨日見て来ました。

最終日でしたが、早い時間帯でしたので、ゆっくりと鑑賞出

来ました。

アメリカの原風景を描くアンドリュー・ワイエス(1917-)は、アメリカン・リアリズムの代表的画家です。テンペラの作品が一般的に知られていますが、水彩画家として出発したワイエスは素描や水彩も数多く制作しています。多くの場合、ワイエスは鉛筆やペンなどで素描を描き、そして次に水彩を描きます。

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momo&ふじ棚

3割引きの広告に釣られて、苗木市に友達とcardashでかけました。

ところが、帰りに「素晴らしい」ふじ棚に案内され、ただ呆然とし、その後は、デジカメのシャッターを押すのみでした。

09510_002_30 09510_011 この写真は、私の傑作(ウ・フ・フ・・)になるかもねsign02
この圧巻のふじ棚は「5本の藤の木」から形成されています。
ふじ棚の下いると、ふじの香りがし、「ふじ娘」の踊りを思い出しました.。

この家では、ご主人が「ふじの花」が好きで、手入されてましたが、亡くなられる時に「皆に」見てもらう様にと言い残されたそうです。

見物の方も50人ぐらいは、いらっしゃいました。

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momo&中田観音(会津)

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弘安寺(中田観音)概要: 案内板によると「 文永11年(1274)長者江川常俊が娘の菩提を弔うために十一面観世音菩薩立像を鋳造し愛娘の心が宿るここ中田の里に納めたといわれる。次いで弘安2年(1279)富塚伊賀守盛勝公が伽藍を造営し普門山圓通閣と称した。その後普門山弘安寺と改名され、観音堂におさめられている。 会津美里町教育委員会 」とあります。又、保管庫には弘安寺旧観音堂厨子(弁天堂)が安置されて異彩を放っています。旧観音堂厨子は寛永19年(1642)~慶安元年(1646)に観音堂が修復工事中に堂外に出され弁天堂になったとされる古建築物で昭和35年に国指定重要文化財に指定されています。本尊 十一面観世音菩薩立像(187センチ)、脇侍 不動明王立像は(95.1センチ)、脇侍 地蔵菩薩立像(93.9センチ)は昭和25年に国重要文化財に指定されています。

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momo&カーネーション

5月10日は母の日で、カーネーションをいただきますが、先日お花のお稽古花に「新品種の

カーネーション」が入ってました。

09423_004_22_2 「ちよっと」ピンボケの写真ですが、これが「カーネーション」です。

どう見ても「カーネーション」とは思えないですよね。

良く見かけるカーネーションは赤、白、黄色といったところでしょうが、そのほかにもピンクのカーネーションなどいろいろな種類があり、現在、登録されているカーネーションの種類だけでも3500種類以上もあるというから驚きですよね。

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momo&華道(5月7日)

連休明けのお花のお稽古は、賑やかな「おしゃべり」の時間も楽しみです。

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momo&柴桜と椿

雨あがり 友達のお宅にお邪魔しましたら、柴桜と椿に大歓迎されまいたよsign03

Photo_2 日本の庭は、晴れの日・雨の日・四季折々表情豊かで「こころ」を和ませて

くれますね。

柴桜

北米東部の原産で、一見草本のように見えるが、根際の茎は木質化している半潅木である。多数の枝を密生して地面を被い、芝生のように見えるところから芝桜の名があるが、植物学的には桜とはかなり遠縁で、ハナシノブ科に属し、オイランソウ(クサキョウチクトウ)と近縁な種である。伊勢原市の渋田川の土手には一面に繁茂して、花期には桃色の花を敷き詰め見事な景観となる。北海道北見地方には丘陵の斜面全体にこれを繁茂させたところがある。

北海道旅行した時、美瑛の富良野の丘を思い出しました。

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momo&つつじ・さつき

09425_003_22_2 この写真はもっとさつきの花が咲くと、良い写真なのですが、「ちよっと」早いようです。

雨あがりは「とっても」きれいです。

『サツキ』は、『ツツジ』はどう違うのでしょう??ね。 検索しました。

『サツキ』は、『ツツジ』の1種です(サツキツツジ)。

普通のツツジが、春(4月中旬~5月上旬頃)に開花するのに対して、
サツキの花は、初夏(5月中旬~6月中旬頃)に開花します。

また、他のツツジの花は、新葉が出る前に花が先に咲きますが、
サツキの花は、先に新葉が出てきてから、花が咲きます。

葉や芽に生えた細かい毛の色でも両者は区別する事ができます。
基本的に、サツキの細毛は茶色ですが、ツツジの細毛は緑色です。

サツキは常緑低木で、樹高も1m程度の樹が多いのですが、
ツツジには、落葉樹も常緑樹(半落葉種を含む)もあり、
樹高が、5~10mにも生長する種類もあって、
一般に、サツキよりも大きく育つ場合が多いようです。

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momo&花みずき

10数年前から、「花みずき」の街路樹が多く見えけられますが、今日は両側の、「花みずき」

の街路樹がとってもきれいでした。

09424_001_22 22  花言葉は

「私の思いを受けて下さい」「公平にする」「返礼」「華やかな

恋」        

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momo&お豆腐店(本練りゆば)

自宅から17キロ離れてるお豆腐やさん!!

親戚の家の帰りに「道の駅」で買った、「お豆腐がおいしく」 ときどき寄りますが、「売れ切れ」の時があります。

今日は親戚の人に、案内されて製造元に行きましたら、「すごく」サービスされ「ビックリ」しました。

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「ゆば」は「引き上げゆば」「本練りゆば」の2種類あり、嬉し

くなり「本練りゆば」をかいました。

これから、調理し明日ご馳走になります。

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momo&亀岡神社

親戚の人を車で送っていった帰りに、

亀岡神社の前を通りましたので、歴史を調べようと思い写真を1枚撮って来ました。

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鎮座  
ほんだわけのみこと(おうじんてんのう)

御祭神 誉田別命(応神天皇)

御利益 開運 家内安全等

残念ながら、歴史については、検索できませんでした。 \(◎o◎)/!

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momo&華道

今月はじめてのお花のお稽古日でした。

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新風体

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立華

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立華は、初心者で、なかなか花の配りができませんが、

先生のご指導をいただきながら、友達と楽しみながら、い

けています。

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