momo&福島県南会津町(伊南村)
5月28日突然の知らせがあり、今朝5時30分出発で伊南村(南会津南郷町)に出掛けました。(南会津町南郷町)←クリックしてね。
南会津町の久川城
久川城は親戚の家から徒歩7分の所にあり、小雨でしたが入り口の所まで行ってみました。
今までは
久川城(ひさかわじょう)は福島県南会津郡南会津町(旧伊南村)にあった戦国時代から江戸時代初期の城。
久川城のある会津郡伊南郷(伊南川流域一帯)は文治5年(1189年)の奥州合戦の戦功によって下野国住人の河原田盛光に与えられ、以来河原田氏が治めていた。
天文12年(1543年)頃に蘆名盛に攻められ、このころから河原田氏は蘆名氏に臣従したものと思われる。
天19年(1589年)、摺上原の戦いで蘆名氏が滅亡し、伊達政宗が黒川城へ入ったが、当時の河原田氏当主・河原田盛次は政宗への臣従を拒否した。
政宗は家臣の柴田但馬や降伏した鴫山城・長沼盛秀を伊南郷に攻め入らせる。盛次は戦闘に備えて新たに久川城を築き、そこに立て籠もって伊達勢を迎え討った。
伊達勢は城を攻撃したが、結局攻め落とすことはできずに撤退した。しかし盛次は翌年の秀の小田原攻めに参陣しなかったためにその後の奥州仕置によって領地は没収されてしまった。その後、会津は蒲生氏、上杉氏、そして再び蒲生氏が入部し、この再蒲生時代に久川城は現在残されている縄張りの城に改築された。その後、慶長16年(1611年)に廃城となった。
奥州仕置で領地没収となった河原田氏一族はその後蘆名義広について常陸国へ行った者、帰農した者などそれぞれの道を歩んだ。蘆名義広に従って常陸へ行った河原田氏は江戸時代に義広が領した出羽国角館(現・秋田県仙北市)に移り、そこに居住した。角館に残る武家屋敷・河原田家はこの子孫の屋敷である。
奥州仕置で帰農した、河原田氏の子孫のお墓が、親戚のお墓と隣接してます。
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